2001
#G012・カリブ海補給線
デッキブラシから水が滴るように、ボブ・マローンの額からも汗が滴り落ちていた。ようやく右側六つ目のランディングホイールを磨き上げたのはいいが、左側にまだ六つ残っている。ボブは、ホースから迸る水で顔を洗った。エレカに積んだタンクの水もだいぶ温くなっていた。
「よう、アンクルボブ、司令がお呼びだぜ」
任務帰りの同僚が嬉しそうに指を立てた。どうせこれから街にでも繰り出すつもりなのだろう。
デッキブラシを立て掛けると、ボブは西海岸の煌めく日差しを睨み返しながら、赤く灼けた太い腕で汗を拭った。
「ニッキー! 掃除は終わりだ、エンジン暖めとけ!」
格納庫の中で、デッキブラシを持った黄色いザクが、おどおどしながら手を上げた。
連邦軍のヨーロッパ反抗作戦により、地球におけるジオン軍勢力は衰退し始めていた。地球攻撃軍本部は、戦略の見直しを計ると共に、北アフリカ戦線を始めとする前線に局地戦力の投入を急いでいた。
「赤い彗星が……、いえ、アズナブル大佐が、でありますか?」
補給処司令は、口許を綻せたがすぐに元の困惑した表情に戻った。
「さ、さすがは大佐殿、で、この機に総攻撃をかけようと」
「ジャブローを見つけたとなれば断る理由などないのだが、五個戦隊といえばここの戦力の三分の二以上だ。二つ返事をするわけにもいかん」
司令は、指令書を差し出した。
「とりあえず、こいつを大佐の許へ届けてくれ」
ガルマ・ザビの一件で、地球攻撃軍部内にシャア・アズナブルに対する不信感が募ったのは言うまでもない。だが、キシリア・ザビが地球攻撃軍の司令権を持ち、シャアがそのキシリアの隷下である以上、その要請に従わないわけにはいかない。
ボブが滑走路に戻ると、“こいつ”が搬入されていた。
「おい、後ろ前だぞ!」
ニック・バイスが、搬入作業を整備員に任せて駆け寄ってきた。
「いいんですよ、あれで」
「なんだありゃあ?」
「Mナンバーの試作機だそうですよ」
「あれがか?」
緑色のやけに太ったそのMSは、格納庫一杯に押し込まれるように搬入された。
「指令書だ、目通しとけ」
ニックは指令書を受け取ると、しげしげとボブを眺めた。
「何だよニッキー、気持ち悪い奴だな」
「いや、その、なんか似てるなって」
「似てる?」
ボブが言葉の意味を理解したのは、ニックが逃げるように走り去った後だった。
「これでも昔はな……」
ボブは、しげしげと出っ張った腹を見つめた。
「ファットアンクル出るぞ!」
整備員にデッキブラシを放り投げると、ボブは堂々と愛機へ乗り込んだ。
前傾した左右のローターをフル回転させて、ファットアンクルは護衛機と共に東へ進路を取っていた。
「何が気に入らねえんだ、ニッキー」
「いいように使われてるってことですよ」
ニックは、そばかすだらけの顔を不満そうにボブへ向けた。
「シャア・アズナブル大佐のことか」
「司令殿を見殺しにしておいて、よくも地球に戻ってこれたもんですよ」
「お前の考えることじゃねえよ」
「そうですけど」
「俺達にゃ俺達の任務がある。それぞれの部署で、銘々がちゃんと仕事をすりゃ、みんなうまくいくんだ」
「そんなもんですかね」
「……そんなもんなんだよ」
ボブに意見がないわけではなかった。だが、それを口にしたところでどうなるものでもないことは、ボブが一番よくわかっていた。
『じゃあな、落とされんなよ』
フロリダポイントで護衛のドップが引き返したのは、まだ陽が沈んでそう経っていなかった。
「夜明けまでには着けるな。ニッキー、下の荷物、着いたらすぐ使えるようにシステムに火入れとけ」
ニックは、先刻から補給ルートと首っ引きで何やら思案している。
「ニッキー、聞いてんのか!」
「え? あ、は、はい」
「なんでえ、いっちょまえに心配してやがんのか?」
「そ、そりゃそうですよ、今までにこんな補給ルート取ったことないですからね」
中米を境に、北米はジオンが、南米は連邦が抑えている。既にこのカリブ海辺りは、連邦の制空圏内である。
「案外大丈夫なんだよ、灯台下暗しってな」
「なんですか、それ?」
「いいから、下行ってこい」
同僚の心配を煽るような真似はしたくなかったが、いつもより索敵レンジを上げていることを、ニックに気づかれたくなかった。敵に見つかれば最後、足の遅い輸送機など一撃である。
ファットアンクルは、夜のカリブ海上空を南東に向かって飛んでいた。
「ちっ、来やがったか」
索敵モニターの端に、IFFに応答しないアンノウンが引っ掛かった。
「一機だけか。戦闘機にしちゃ遅いが」
ボブは、進路をやや東寄りに取ったが、その距離は開かなかった。やがてそのアンノウンは、高度差を詰めて速度を上げてきた。
「見つかった!」
ボブは、操縦桿を押し下げて高度を下げた。位置エネルギーを利用して機体速度を増加させるのが狙いだ。
「ど、どうしたんです?」
格納庫から、慌ててニックが上がってきた。
「敵機だ、五時の方向、見えるか?」
キャノピーから覗こうとしたニックは、諦めてコンソールモニターをチェックした。
「こ、これは、ドダイですよ」
「何?」
ニックの言葉にモニターを見遣ったボブも、幅広のシルエットに見覚えがあった。
「しかし、こんな連邦の勢力圏で……」
「ち、違う、ドダイじゃない!」
ニックが血相を変えて叫んだ。
「上に乗っているMS、これ連邦の奴ですよ!」
「くそったれ、結局敵じゃねえか!」
連邦のドダイは、ジムを乗せたままファットアンクルに近づいてきた。
「に、逃げ切れませんよ!」
「くそっ、相手は輸送機だから一気に片付けろ、とか言ってんだろうな」
「ああっ、もうだめだあっ!」
ボブは、必死に操縦桿を握りながらもモニターを見遣った。
「ん、待てよ……、あいつ、丸腰じゃねえか」
「え?」
「振り切れるかもしれん、ニッキー、下のでかいMSに乗れ」
「え?」
「早く行け!」
ニックは、言われるままに格納庫へ下りていった。
「むざむざ落とされるわけにゃいかねえんだ、アンクルボブの名にかけてな」
程なく、ニックの頼りない声が聞こえてきた。
『で、どうすりゃいいんですか?』
「牽引フックはしっかり取り付けてあるな?」
『ええ、こ、こいつでかいから、いつもより厳重に付けてます』
「よーし!」
ボブは、コンソールの赤い大きなボタンを押した。
「わーっ、な、何するんですかーっ!」
モニター越しとは言え、ぽっかり開いた格納庫から見える夜の海に、ニックは叫びを上げた。
『いいかニッキー、敵が前に出たら、そいつのメガ粒子砲をぶちかませ』
「えーっ、で、でもそんなこと……」
『俺達補給屋は、何がなんでも荷物を届けるのが使命だ。相手がシャアだろうと誰だろうとな!』
連邦のドダイに乗ったジムは、肩口からサーベルを抜いた。
「けっ、いい度胸じゃねえか、ガンダム崩れが!」
ボブは、ファットアンクルの進路を変えずに、高度を上げて敵機を前へ追い抜かせた。
「今だ、ニッキー!」
連邦のドダイは、軽快に回頭して機首を向けた。
「当たらなくてもいい、ぶちかませ!」
『うわーっ!』
ニックの声と共に、メガ粒子砲の黄色く輝く光の帯が迸った。命中こそしなかったが、敵機は驚いたように退却していった。
「よーし、上出来だニッキー」
ファットアンクルは、元の補給ルートに戻った。
「あー、どうなることかと思った」
コクピットに戻ったニックは、まだ胸を押さえていた。
「一機だけってのはラッキーだったな。大方テスト中か何かだったんだろう」
「それにしても、あのモビルスーツのメガ砲、すごいですよ」
「そうか? なんか見掛け倒しみたいだったけどな」
「そうですか?」
「なんで俺を見るんだよ」
「い、いや、別に深い意味はありませんけど」
「……止めた。帰ったら例の店連れてってやろうかと思ってたけど、止めた止めた」
「あ、そんなあ、前から約束してたじゃないですかあ」
程なく、海上に水中信号弾の淡い光が見えた。
『こちら、マッドアングラー隊。アンクルボブ、聞こえるか』
「新品じゃなくなっちゃいましたね」
「水かけて冷やしとけ。わかりゃしねえって」
ボブは、人差し指を口許に当てながらレシーバーを取った。
「こちらアンクルボブ、注文の品持ってきたぜ」
ファットアンクルは、ゆっくりとマッドアングラーの甲板に着地した。
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あとがき
補給というのは目立ちませんが、戦争では最も重要であるといっても過言ではありません。シャアでも弾がなくなれば戦えません。
しかし現場は往々にしてのんきなのでしょう。そりゃ太りもします。そんな彼らでも、立派に戦っているのです。
ちなみに、ドダイ履きの連邦MSに乗っているのはジェリドくんです(笑
Posted by みかつう at 2005/06/21 (Tue) 23:12:58
Posted by at 2007/04/13 (Fri) 05:06:35
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